愛と誠と性癖と

2022年02月09日 00:07

幼い頃に愛と誠という漫画に出会って、本当に感銘を受けました。
なんて面白いんだろう!と夢中で読みました。
場面では、ガム子が校舎の窓から逆さ吊りされて、綿のパンツが丸見えになってしまうシーンと、愛が体育館の広い舞台の上の教壇に立って、不良学生から、一斉非難されて物を投げつけられてるシーンが萌えました。
当時、萌えなんて言葉はなかったと思いますが、激しく私の胸は、ドキドキと甘酸っぱく激しく高鳴っていました。
岩清水君の愛し方と愛の愛し方との違い、、誠の存在、色々考えたりしました。
愛は戦いである、というその意味は、今でも分かりません。
本当に私のM心くすぐる漫画だと今では思いますが。
人によって様々な愛と性癖なので、正解はないのですが、
私は愛する人には、永遠に私の姿は見えないといいな、と思います。
そして、愛する人の本当の姿は、限りなく見たい、隅々まで把握したいというワガママ(笑)な愛の形を至上としております。
まるで、神様の愛ですね。
なので、一番嫌な事は、嘘をつかれることです。この嘘には、演技や忖度も含まれます。
気持ち良くないのに、気持ちいいふりしたり、楽しくないのに楽しいふりしたり、興味無いのに興味あるふりしたり、そういう事は、きっと人間なので相手の気持ちを慮る上で、必要なのでしょうが、私はそういうの嫌いなんです。
だから、逆にそういう事はしたくないと思うけど、そうそう正直でもいられません。
相手の機嫌をとる反応、ってしてしまう、それは産まれたばかりの赤ちゃんでもなければ、物心ついた時から、大なり小なりしてしまうもののような気がします。
( ̄▽ ̄;)
だから(どうしてここで、だからなのか、ちょっとえ?!と思うかも知れませんが、一生懸命察してください)、嘘をつけない状態が好きなんだと思います。
嘘偽りなく、痛い、嫌だ、やめて、とさめざめと、えんえんと、ギャンギャンと、訴え泣く、そこに嘘はなく、、心から本気でやめて欲しく思う感じる、それが安心できます。
相手の本当の姿を見たいと思う気持ちから、嘘が嫌い、になり、自分の偽りなさへの希求になる、、、
今は相手の本当の姿を見たいと熱く願う気持ちは、ありません。
所詮、全てが幻影で、神ならぬ凡人の自分の見たい通りにしか、見れないのですから。
そして、私も本当の姿は自分で作るものだと思います。
なりたい自分になる!
受験生のようなものですが、人はいつまでも可塑性のあるものです。
また、変わらないものでもあります。

老いを恐れる、病を恐れる、死を恐れる、、
人って、そういうものだと思いますが、

自分の観念の中で、より真実に近い姿を求める事で、恐れる事をやめて、楽しく生きていけるのではないかと思います。

愛と誠の愛のドMぶりの甘美さったらないし、ガム子の純情可憐な気持ちに共感しちゃうのが、私の愛と性癖なんでしょうね💕

記事一覧を見る

powered by crayon(クレヨン)